北摂 子育てブログ

3人家族ユーモア奮闘記。どんな事でも楽しめたら最高!をテーマにブログ運営しています。

胃ガン ステージ3b 消えたガンが再発

前回、父のガンが消えた!と皆様に報告してから5ケ月が経ちました。

 

【前回記事】胃がん ステージ3b 余命宣告から8ケ月。癌が消えた!?

 

余命宣告11ケ月と告げられてから、14ケ月が過ぎようとしています。

 

続きを読む

胃がん ステージ3b 余命宣告から8ケ月。癌が消えた!?

余命11ケ月と告げられてから8ケ月ちょっとが経ちました。

 

いつ会いに行こうかなぁと考えていたら、

うれしそうな声で「癌なくなったで!」と父の第一声。

先日行った検査結果の電話です。

 

表面上はきれいになっていると聞いていたのですが、細胞をとって精密に検査したところ、リンパへの転移も消え、浸食もなく、腫瘍マーカーも正常とのこと。

 

 

抗がん剤を止め、手術も拒否したのに、癌がなくなった?

ってあり得るのでしょうか?

 

続きを読む

胃がん ステージ3b 抗がん剤のやめ時はいつ?

 父親が胃がんになりました。年齢は70代。ステージ3bかステージ4ぐらいらしい。はっきり診断して欲しいところですが、グレーゾーンとのこと。何だかもやもやします。

 医師からはリンパへの転移もあり、また、大動脈の近くにもあるので手術はできないと告げられました。仕方なく、抗がん剤治療をはじめることにしました。通院と治療のための入退院を繰り返したものの、さほど大きな副作用もなかったので、胸をなでおろしました。副作用がないといっても、抗がん剤投与の後は食欲もなく、体調もすぐれなく元気もありませんでした。体力もかなり落ちている感じです。

 2回目の治療で退院する際に、医師から、「奇跡的に小さくなりました!ほんとにすごいことですよ。」と信じられない言葉をいただきました。もちろん、家族は大喜びです。しかし、親は体調も悪くなることから自分にはあっていない。食事療法で治すと言い張ります。家族みんなで反対しましたが、頑固一徹、もう抗がん剤はやらないと言っています。私が渡した食事療法での成功事例をあげ、それを実行しているからこそ、小さくなったと思っています。

 私たちがあまりに、抗がん剤を続けろと言うものですから、それなら、自分と同じ状況で、抗がん剤で成功したという事例を教えてくれと言います。ネットで色々調べてみましたが、なかなか、そんな事例もでてこなく、最終的には、本人の主張を尊重すべきか、何とか説得を続けるべきか日々悩んでいます。

 

 

結局、入院等で治療は続けましたが、帰宅後は、抗がん剤の飲み薬は止めました。昨日、検査結果の説明があったのですが、癌は小さくなっている様子。先生いわく、それは薬をやめたからではなく、入院している間の抗がん剤が効いているとのことでした。内科の先生からは、癌が小さくなったので、胃の全摘手術を勧められています

 

今度は、外科の先生からの話もあるようですが、外科なら尚更手術を勧めてくるでしょう。

果たして手術に踏み込むべきか。

手術ができるくらいにまで癌が小さくなったというのは嬉しいのですが、なんだか気が進みません。父もすぐにはという感じです。

 

手術をするべきかどうかを考えるうえで、

胃がんの全摘手術後の生存率を調べてみましたが、データは見当たりません。

通常、開腹手術による胃全摘出はステージ~3までになり、それで判断するしかありません。ステージ2では5年生存率は約60%、ステージ3では約40%となっています。

また、国立がん研究センターのがん罹患数予測(2017年)によると、全がん1,014,000人。部位別では、第1位:大腸がん149,500人、第2位:胃がん132,800人、第3位:肺がん128,700人となっています。また、死亡率予測は、全がん378,000人。部位別では、第1位が肺がん78,000人、第2位が大腸がん53,000人、第3位が胃がんで47,400人となり、胃がんは肺がんや大腸がんと比べると死亡率は低くなっているのがわかります。

 

f:id:hokusetsulife:20171108181320p:plain

こちらを見ても、胃がんの死亡率は年々下がっています。

 

胃の全摘手術に踏み切った場合、

通常の食事が摂れるまで1年程度かかり、体重も減少することから生きる気力が失われるといいます。父は、私と同じで食べることが大好きなので、とっても心配なんです。

 

では、抗がん剤だけでも続けるべきか

抗がん剤は癌細胞だけでなく、元気な細胞までを攻撃し、傷つけてしまいます。副作用もとっても強いんです。しかも、だんだんと効かなくなり効用よりも副作用が上回るといわれています。

 

国立がん研究センターによると、肺がんの場合は、75歳以上か以下かで抗がん剤の効果がかわっています。75歳以下なら、抗がん剤を投与した方が長生きし、75歳以上なら投与の有無によって変わらないという結果です。抗がん剤を使用しなくても、3年以上生きた人もいます。

 

痛みを我慢して、治療をしないのか

「がんは痛む」という先入観がありましたが、そうでもないようなんです。むしろ、痛みは抗がん剤からくるものとも言われています。

 

 なんか、暗い話になって申し訳ありません。

 

でも、父は、食欲もあり生活を楽しんでいます。決して悲観的ではありません。人と話すのが好きなので、ボランティアガイドや笑いヨガなどをしながら楽しそうに過ごしています。いつも忙しそうなんです。ブログのテーマを実践している感じなんですよ。

 

 以上を総合的に判断しますと、何もしないことが一番の良薬という結論になります。

 

何が一番よいのかというのは誰にもわかりません。本人がどうしたいのかを考えることが唯一の解決方法かもしれません。

 

私の願いは、元気に明るく暮らしてほしい。ただこれだけです。

これから私が取り組むべきことは、父の意志を尊重し、がんと仲良く暮らしていける空気をつくりだすことかなと思っています。

 

 

 

先日、仕事を休んで外科の先生の話を聞いてきました。

 

 

家から2時間以上もかかり、また仕事も休みづらい状況から今回が先生との初対面でした。若い外科部長さんです。

 

 

そこでは予想通り、胃の全摘手術を勧められました。母も姉も手術推進派です。姉は、今、九州に住んでいて、この場にはいません。以前は薬剤師をしており、胃の全摘手術をしても、元気になっている人をたくさん見ている。2~3年生きるだけなら、抗がん剤を止めて、元気に過ごすのもいい。でも、長生きしたいのなら、話は別。絶対に手術をするべきといいます。 

母は、5月の時点で覚悟をきめたと、一人になる覚悟を決めたと言います。普段は明るく元気な母ですが、そこまで深く重く考えていたなんて。

 先生曰く、5月の時点で、余命11ヶ月。私は初めてそのことを知りました。母からその事を知らされていなかったからです。また、治療をやめると、どうなるのか、想像がつかない、判断できないと。新たに余命に関して口にすることはできないとの見解です。今、消えているように見えても表面的だけ。裏に隠れている可能性もあるし、このまま何もしない、手術をしないというのはないという話です。

外科の先生は、どちらかというと穏やかな話っぷりですが、内科の主治医は、自分の親だと首に縄を巻いてまでも、手術を受けさせるといっていたようです。

 それでも父は、手術を拒みました。リンパへの転移も消えているらしく、かなり良くなっています。手術を拒否する父を見て、母はうっすらと涙を浮かべました。

 

もうダメだと思っていたところに光が差したにもかかわらず、自らそれを閉じてしまおうとする虚しさに涙したんだと思います。

 

父はまた、後日、内科の主治医との面談でも、手術をしないことを伝えました。抗がん剤も止め、今後は経過をみながら、検査のみをしていくことになります。

 

今回の場合、最悪の結果は渋々ながら手術を受け、結果的によくならない。その際に転移が発覚、再発するという結末です。はっきりいって、どうなるのかはわかりませんが、最悪のパターンは回避できたとして納得せざるを終えません。

 

もし自分がその立場に置かれたら、どう考えるか、どうするかというと、

私も母も姉も手術を選ぶと思います。しかし、おとしゃんは違います。絶対に手術や抗がん剤はしないといいます。ただ、おとしゃんの両親や妹は手術や治療を受ける方を選ぶと思うというのです。人それそれ、考え方は千差万別ですね。 

 

確かに、最近の父は顔色もよく、表面的には元気になっているように感じます。周囲の人からは、少し太ったねと言われることもあるようです。

 

年末、久しぶりに父に会いました。今回は、私が行ったわけでなく、父と母がこちらへ来てくれました。途中で一緒に食事をして、私たちの家へという流れです。おとしゃんは出勤でしたので、両親と子供と私の4人でした。

「元気そう」と思ったのが最初の印象です。

少しは痩せた感じはするものの、とても元気そうなかんじです。抗がん剤を止めた後、すっかり食欲を取り戻したのですが、それは今もかわりはありません。一緒に食事をした際も、とても病人とは思えないほど、天ぷらや寿司を頬張っていました。治療中は食事にいっても、ほとんどハシが進まなかったことを想うと、ほんとに嬉しく思います。先日、小・中学校の同窓会があったらしいのですが、そこでもたらふく飲んで、食べたと言って、大笑いしていました。

これは病気とは関係のない話ですが、食事場所を選ぶ際、私はどれにしようか迷っていました。どの店も魅力的で目移りしていたんです。でも、父も母も「これだ!」というお店がなかったようです。結局、選んだのはチェーン店でした。とびっきりおいしいわけではなく、サービスがいいわけではありません。だからといって、安いわけでもないのです。どうして、その店を選んだの?って聞いても、その店に行くことになってたんじゃないの?っていう返答で、まぁ、そこにでも行く?ってことは電話でのワンフレーズだけで、そこに行きたいって、私が行ったわけでも、決まったわけでもなかったんです。追い追い、問い詰めてみると、「安心だから」という理由でした。何回も行っているから安心なんだそうです。そういえば、口に出しては言わないものの、あまり新しい店には行きたがらず、和食傾向になってきました。色んなものを食べてみたい!というより、味のわかるものを食べて安心したいんですね。

変化と言えば、コートとリュックを新調したことです。ボランティアガイドの指名数も1番多いらしいのですが、その嬉しさもあって、購入したのでしょうか?小奇麗なかっこをしないと、と張り切ってます。

私の家に着いた後、買ってもらったおもちゃを早速動かそうとしたのですが、父は電池ボックスを開けることができません。ネジがとても固かったようです。剛腕でも無茶苦茶器用なわけでもないおとしゃんが帰宅後、さささっと開けていたのにもかかわらず。

元気そうで、嬉しかった反面、力が弱っているのかなぁとも感じました。ネジが開けれなかったこと、コートやリュックを新しくしたのは、軽量化のため、なんてことも頭がよぎります。

心配なことを挙げると、いとまがありませんが、「病は気から」を信じたいです。検査だけは続けていく予定ですので、追って報告したいと思います。

 

●続きはこちらをご覧ください。