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北海道開拓の村を見学。所要時間は?おすすめコースをご紹介します!

北海道開拓村の滞在時間はどれくらいが最適でしょうか?札幌ドーム20個分という広さですから、一度に全部を回るといるのは困難ですよね。

 

食事を含めて3時間弱のおすすめコースをご紹介したいと思います。

 

 

JR新札幌駅10:45発のバスに乗ると11:05には北海道開拓の村に着きます。その後、村内で食事を済ませた後にスポットをまわって、北海道開拓の村14:15発のバスに乗ってJR新札幌駅へ戻るルートです。

 

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旧札幌停車場。これが管理棟で村内へのエントランスになっています。

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本数が少ないので、帰りのバスの時刻もチェックしましょう。

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入場料を支払って中に入るところにベビーカーが設置されていて、誰でも自由に使用することができます。台数に限りはありますが、使っている人はほとんどいませんでした。10台くらいあるみたいですね。

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我が家も1台お借りしましたが、ほぼ乗っていません。普段はなかなか歩かなくて抱っこが大変なのですが、2時間くらい歩きました。そんな気分にしてくれる北海道、素敵です!

 

それでは、市街地エリアを中心に回っていきたいと思います。3歳の子供と一緒に歩いて、2時間程度かかったコースになります。+食事時間ですね。

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 北海道開拓の村 村内マップ

マップでは、建物に番号が割り当てられてますので、これから出てくる番号は、その番号だと思ってください。

 

まずは食事。

「腹が減っては…」ではありませんが、まずは食事です。

なぜ食事が一番最初かというと、食堂が入口近くにあるのです。ですので、村内の食堂で食事を摂るとなると最初か最後。今回は、先に食事摂るパターンにしてみました。開拓の村の営業時間は9時からですので、2時間まわって最後に食事ってのもありですね。

 

全部徒歩で回りましたが、馬車鉄道に乗車すると入口付近から旧ソーケシュオマベツ駅逓所前(村内の真ん中あたり)で降車しますので、そこから徒歩で戻ってくることもできます。料金は、大人(15歳以上)片道250円、小人(3歳~14歳)100円です。

馬車鉄道時刻表

www.youtube.com

※この映像は、旧ソーケシュオマベツ駅逓所前⇒出入口に向かって走っているところを撮影したものです。誰も乗車はしていませんが、行きは満員でしたよ。運行期間は、4月中旬~11月頃。それ以外の期間は、雪の中を駆ける馬そりになります。

 

㉒旧近藤染舗

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明治31年創業の旭川で一番古い染め物店です。徳島県出身の近藤家は、古くから伝わる藍染の技術を受け継ぎ商売をはじめます。店の裏には、8この藍壺を備えた染め物工場があり、半纏、のぼり、旗などを染色していました。

 

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等身大の人形もいるので、最初はギョっとびっくりします(汗)。

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思わず声をかけてしまいそうになります。

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⑱旧来正旅館

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馬車鉄道側が正面の入口になります。

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高知県から屯田兵として来正氏がやってきました。屯田兵をやめた後の明治31年、待合所として営業します。石狩川の氾濫にあいながら大正8年に永山駅前に開業。駅前という立地を活かし、宿泊の他、馬車や鉄道の待合所として使用されました。

 

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⑲旧三ます河本そば屋

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明治18年頃、石川県から河本徳松が北海道へ移住。そば屋の修行をして、三ますののれんを継ぎ、明治42年に小樽にこのお店を建てます。1階は調理場と家族が暮らす部屋で2階はお客用の座敷となってます(2階にあがって見学することはできません)

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⑨旧小樽新聞社

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明治27年創刊の日刊紙で北海道3大新聞の一つ。当時の小樽は火事が多く、扉を鉄でつくるなどの対策を施しています。

地震の被害を受け、外観など修理中です。

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⑳旧武井商店酒造部

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明治19年頃、茅沼で石炭荷役、回船業を営んでいた武井家が建築。酒造業は明治28年頃から始められ、永く親しめられた清酒「松の露」や「玉の川」の製造は、戦時下の統制で製造中止命令が出された昭和19年まで続けられました。実際の酒造りは、米の買い付けを越後で、また杜氏も越後より雇い入れしました。

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㉑旧近藤医院

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函館病院から古平病院長として招かれ、明治35年、古平町に近藤清吉が建てた病院。木造2階建ての医院棟には、1階に診察室、手術室、茶の間などがあり、2階には居室がありました。石造りの2階建ての別棟もあります。(2階は見学することができません)

 

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⑩旧開拓使工業局庁舎

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明治6年に設置された開拓使工業局。道路、橋梁、官庁、学校等の建設をはじめ、家材、機械、農具、車両などの製造事業を行いました。開拓使関係庁舎として唯一の明治初期の洋風事務所になってます。

 

㉘旧広瀬写真館

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大正末期から昭和33年まで岩見沢で営業していた写真館を再現。外観は洋風ですが、内部の多くは和風という和洋折衷の建物です。撮影は自然光を用いるために2階で行われ、北側の屋根はシングル・スラントと呼ばれた斜めのガラス張りになっています。この建物は2階も見学することができます。

 

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㉓旧武岡商店

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明治31年、東静内に建てられた建物。地元産のカツラやエンジュの良材を用い、窓の部分などに一部洋式を取り入れた和洋折衷方式で、当時の流行を反映した北海道的な建築物です。明治40年頃の初冬の店舗と商家の生活が展示されています。

 

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⑬旧札幌警察署南一条巡査派出所

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明治44年、札幌の創成川沿いに建てられたレンガ造りの交番。当時の警察官の衣装を身にまとったスタッフの方と記念撮影することができます。

 

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※この人形とは別にスタッフの方がいるので、その方と一緒に撮影してください!

 

⑭旧島歌郵便局

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明治5年に北海道で近代郵便の取り扱いが始まり、この島歌郵便局は、明治19年に設置されました。その後、明治26年には畑野清治が2代目局長として就任し、その後は畑野家によって引き継がれていくことになります。この建物は業務用として、局長や職員の住居は別棟にありました。

 

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⑮旧山本理髪店

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傾斜の急な切妻屋根、玄関の雨よけアーチなど大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は理髪業とよくなじみ、北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれてきました。

 

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㉔旧大石三省堂支店

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札幌で修業した菓子職人大石泰三が、大正14年、帯広町の繁華街電信通りに店舗を求め、菓子の製造販売をはじめた建物。店は親子2代にわたり、昭和30年まで営業をつづけている。建物は切妻平入で、店舗兼住宅の母屋とそれに併設する工場を再現したものになっている。

 

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㉕旧太田装蹄所

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大正13年~昭和20年まで、札幌市街の江別方面に通じる幹線道路(現在の国道12号線)沿いで営業していた装蹄所を再現。蹄鉄屋の名で親しまれていた装蹄所は、馬が物資運搬や農耕の主役であった時代にはどこの町や村でも見られ、馬蹄の保護にはかかせない職種でもありました。

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⑯旧渡辺商店

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中頓別市街に建てられた建物。明治30年代、中頓別は砂金堀で賑わいをみせ、大正5年の鉄道開通後は交通の要所として発達していきます。漆喰仕上げの土蔵造は、石造やレンガ造りとともに耐火・耐寒を目的とした構造となってます。北海道では、建築例が少ない建物。

 

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㉖旧藤原車橇製作所

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 明治31年兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年に妹背牛で車橇製造をはじめました。その後、3代に渡り営業を続けています。開業以来、使用されてきた車橇製作所を再現しています。木造切妻平入の構造で、作業所と住宅が共存しています。

 

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㉗旧本庄鉄工場

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明治30年代から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年から昭和50年代まで使用されていました。石狩川河口に開けた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品の他、農具などをつくっています。当時、開拓地には鍛冶屋はかかせませんでした。

 

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⑰旧浦河公会会堂

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明治13年兵庫県神戸市にて北海道開拓会社「赤心社」が設立されました。翌14年には、西舎村や荻伏村に結社移民として入植します。「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年に「浦河公会」が組織化されました。この会堂は、17年の日曜学校兼会堂に次ぐ、2代目の礼拝・集会所になります。

 

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⑫旧龍雲寺

修理中

 

㉜旧土谷家はねだし

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ニシン漁家の付属施設として、海岸の地形にあわせて海側へ跳ねだすかたちで作られた倉。海から建物の下に舟を着け、床の開口部を通して、直接荷物の出し入れを行うことができる。漁具、漁獲物、魚粕、身欠きニシン、数の子などの加工品を収納するために使用されました。

 

㉞廊下

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陸揚げしたニシンを一時収蔵するための施設です。猟期後は、船、櫓、櫂などの大型の漁労具や加工用具を収納する倉として利用されました。壁の落し板構造は、魚の搬入や建物の周囲で行われた「ニシンつぶし」と称した加工作業に便利なように工夫されています。

 

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㉝旧青山家漁家住宅

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ニシン漁で一旗あげた森野熊虎の屋敷として、朝ドラ「マッサン」のロケ地でも使用されました。かなりかなり大きな屋敷です。実際の持ち主である青山家は山形県出身で、小樽の祝津に18ケ所のニシン漁の権利を保有していたといいます。ニシンが獲れる3、4、5月の3か月間は、漁師が泊まり込みで働いていました。多い時には海の水がニシンで見えなくなるくらい大量のニシンがやってきたのです。食用だけでなく、肥料にもなり、高く売れました。建物の中は親方の家族が住む立派な部屋と、漁師たちが寝泊りする部屋などがあります。

 

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⑪旧北海中学校

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札幌農学校第3期生らが中心となり明治18年に設立した私立北海英語学校が前身で、明治38年に創立されました。明治41年から翌年に渡って建築された本館部分が保存されています。外観デザインは、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。

 

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⑦旧有島家住宅

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作家・有島武郎明治43年5月~翌年7月頃まで住んだ建物です。一般の住宅にも、上げ下げ窓などの洋風デザインを取り入れはじめました。

 

⑥旧松橋家住宅

明治・大正・昭和に渡る都市生活者の住宅で、大正7年以降は松橋家が居住していました。松橋家は、明治初期に秋田県から札幌に移住し、農業およぼ土地会社経営に従事しました。大正7年当時を復元しています。

 

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⑤旧福士家住宅

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幕末から明治期にかけて、造船、通訳、気象観測、測量などの広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献した福士成豊が明治半ばから大正11年まで居住した建物です。明治前期の洋風の建物と明治後期の和風住宅を接続した特異な建物となっています。

 

④旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)

開拓使の官舎として建てられたものの、完成後、順次払い下げられました。アメリカ中西部の建築様式を模範とし、外観は洋風であるものの内部は畳敷きなどの和風で和洋折衷になっています。外観は白ペンキで塗られていることから、「白官舎」と称されていました。当時は、1棟2戸建ての建物が4棟並んで建てられていました。

 

③旧手宮駅長官舎

明治13年、北海道のはじめての鉄道として、幌内鉄道が敷設されました。その職員宿舎として建てられたのがこの建物です。骨組みや上げ下げ窓など外面デザインに様式の手法が用いられてます。手宮宿舎5号と呼ばれていたもので、同じかたちのものが6棟建てられていました。

 

⑧旧浦河支庁庁舎

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明治30年北海道庁が郡区役所制度を廃止し支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれました。この建物は、大正8年に地元の浦河村および道庁の費用で建築され、昭和7年日高支庁と改称されました。昭和31年浦河町に払いさげられた後は、堺町会館や博物館に利用されました。左右非対称という変則的なつくりで、壁の漆喰塗りなど当時の雰囲気をよく残しています。内部では、支庁長の執務状況、各支庁の歩み、道内各地を走った馬車鉄道の様子などが展示されています。

 

建物と建物の距離は近いので、どんどん回れます。

 

歩いているだけでも楽しくなりますよ~!

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施設概要

名称:北海道開拓の村

住所:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1

電話番号:011-898-2692

アクセス:JR新札幌駅よりバスで15分

営業時間:9:00~17:00(5月1日~9月30日)9:00~16:30(それ以外の日程)

     ※最終入場30分前

休日:無休(5月1日~9月30日)毎週月曜日※祝日の場合は翌日(それ以外の日程)

料金:一般800円。学割、団体料金、年間パスポート等あり

クーポン:【100円割引+特典】北海道開拓の村のクーポン

公式サイト:北海道開拓の村

地図